おーえる放浪記

毒親から離れ、色々なところを転々としています。ミスiD2019ファイナリスト。Twitter@MC88009062

中国と台湾に住んでいた私が考える、日本の女性が社会進出しにくい理由

1.日本の女性が社会進出しにくいのは性差のせい?

前日、Twitterでこんな意見が流れてきた。

 

「男女で適正があり、妊娠ができて出産ができる女性が社会に出て活躍するのは難しいのではないか。」

 

つまり、この方の言っていることは男女には生まれ持った性質があり、その性質は男女で違う。そして女性は妊娠出産できるなどの点から性質的に社会進出が難しい。ということを言っているのである。

 

もちろん男女に出産できないできるの違いはあるが、私は女性の社会進出を阻む本当の原因は日本の社会システム、または日本人の文化的価値観だと思う。上記のTwitterでの意見は、今の日本の社会自体が女性にとって社会進出を断念せざる負えないようなシステムの問題ではないかという視点が抜けた、根本から問題が見えてない人の意見だと思う。

 

そしてこういう考えの人は日本人にわりと、多いとも感じる。なので今回は私の中華圏での経験を交えた考察をこのブログに書くことにした。

 

2.中国と台湾、女性の社会進出と女性政治家。

 

私は中国に4年、台湾に1年ほど住んでいた。私の遺伝子も中国にルーツがある。生活していて気づいたことは中国、台湾は夫婦の共働き率が高い。まず、専業主婦は少ない。2017年5月、中国の女性の労働率は欧米を上回った。台湾は2016年のデータによると、60歳以下の就労率は男性が66.9%に対して、女性は50.7%となり女性政治家も多い。2018年4月現在の日本の国会における女性議員の割合は衆議院で10.1%、参議院で20.7%、列国議会同盟の各国下院の調査では世界193カ国中158位とかなり低い。それにくらべ、中国は72位と世界平均以上、台湾に至っては21位とアジアではトップクラスだ。なぜなのだろうか。

 

3.中国と日本の女性の社会進出に関する環境の違いと考察

以下に私が実際に経験した事、見た事や聞いた事から中国と日本の女性の社会進出に関する環境の違いと、そこから考えられる日本女性が社会進出しにくい理由をいくつか書いてみた。

 

①核家族化の日本。拡大家族型の中華圏。

まず、家族関係の違いがある。日本の場合、一緒に生活している家族構成は母親と父親、子供という形が増えつつあるが、中華圏になると核家族化は進んでいるようだが祖父祖母と住んでいる家族は多い。また、親戚との関係が日本より密で、お互いの家族が近くに住んいれば、頻繁に会いに行き、家事の手伝い、親戚の子供の面倒を見たりとお互い助け合いながら生活している。特に「ありがとう、悪いね。」などの言葉もなく、いろんな人が代わる代わる子供を抱っこして、子供が泣いてしまっても母親が抱いて外に出ていくこともなく、みんなであやす風景をよく見た。日本の場合はその点、「母親が一番に子供のおもりをする」という価値観が強くある気がする。親戚の中でも子供の母親がずっと子守をしていて、子供が泣くと母親が子供を抱いて外に出ていく印象だ。日本はとりわけ母親となると負荷が大きいのではないか。

 

②家政婦文化が発達している。

中国の都市部と台湾に住んでいる家族は、一般的な家庭でも、家政婦を雇っている家庭が多い。しかも、だいたい家政婦は住み込みで働いている。中国では地方から出稼ぎに来る女性が多く、台湾ではインドネシアから家政婦として出稼ぎにくる女性が多い。それぞれ、家政婦ネットワークがとても発達していて雇う賃金も日本より安く、家政婦たちの教育も行き届いている。何より介護の面では家族と一緒に過ごしつつ家政婦に世話を見てもらえるのでメリットが大きい。日本ではどうしても部外者を家に入れることに抵抗がある家族が多い上、家政婦を雇う賃金も高額。それに加え「家事と料理は妻が手を抜かずやるもの、夫の両親は妻が面倒をみるもの」という古い考えがまだまだあるため、家政婦文化が発達しないも女性の社会進出を阻む原因なのではないか。

 

③食事は外食が多い。もしくは質素。

台湾に旅行に行ったことのある人なら知っていると思うのだが、台湾では毎日、お祭りのような比較的安価に食事がとれる屋台がそこら中に出ていて、そこで夕食を済ませる人が多い。私の台湾人の友人は家族で週に5回は屋台で食事をするそうだ。つまり、食事を作ったり食器を洗う負担がない。中には生まれてから数回しか両親の手料理を食べたことがなく、毎日ほぼ外食という人もたまにいる。日本人は毎日外食と聞いて健康に悪いと顔をしかめる人も多いと思うが、台湾の屋台は値段も安価で、野菜やフルーツもしっかり摂れる。また、台湾人の一番多い職業が飲食業であることにも外食が一般的であることが伺える。では、中国ではどうなのかというと私のルーツである北京での食事は一品料理とご飯というかなり質素なものであるため、日本の食卓に比べれば食事を作る負担は少ない。しかも料理は家政婦さんの仕事だったりする。

 

③経済的要因。

中国、台湾に関しては人件費が日本より安いという問題があり、ほとんどの家族が共働きでないと生活できない。また、台湾ではこの人件費の低さについて社会問題になっており、収入に対して家賃もすこぶる高いため、必然的に妻の労働力が必要とされる。夫婦ともに働く必要があるため二人の力関係が平等になりやすく、子育てや家事の負担が、どちらかに掛かりにくいのだと私は思う。夫の稼ぎだけでも生活ができる家庭の多い日本では「働きたいけど旦那の収入だけで生活できるし、旦那より稼ぎがないから」と働くのを諦め、子育てと家事に専念する女性が多いのではないか。

 

④子供及びその母親に対する寛容度の高い国民性。

日本人は「人様に迷惑をかけるな」という考えがとても強い。そのため、公共の場では子供が泣いてしまったり、暴れたり、大声を出したりするから、と子供との外出を控える母親も多い。妊娠中でもお腹が大きい姿、または妊娠による発汗を「みっともないし、みんなが気を遣うから」と言われやむなく、早めに産休をとったという話も聞く。その点、中国圏では子供の自由奔放さを周囲はそこまで気にしない印象がある。というより、みんな子煩悩な印象がある。上海の地下鉄に乗っていた時、私は5歳くらいの子供から「座りたいから席をゆずれ」と言われて、足を蹴られたのだが、周りの乗客はみんなニコニコして子供に席を譲っていた。中には笑顔で「生意気だなあ、将来はボクサーかな。小学生なの?」と子供に、からかいながらも優しく話しかける、お兄さんもいた。彼女連れだった。母親も笑顔で蹴ったことに対して「こぉら、やめなさい」と言うくらいだった。中国人の親子が電車に乗っていて子供がやりたい放題でも母親はさほど気に留めないのは、こういった中国人の国民性によるところから来るものだと思う。また、妊娠に関しても割とみんな臨月ギリギリまで働く女性が多い。日本は産休が多くて羨ましい。みたいなことを言われたこともあるが、中国圏はまず働き方が日本と違う。中国のスーパーやコンビニ、会社の窓口に行くとたまにお腹の大きい女性が対応してたりする。無理しないように椅子に座っていたり、リクライニングチェアに寝っ転がっている人もいた。レジの後ろにある商品を注文したら「お腹しんどいから自分でここまで入って取ってちょうだい」と言われたこともある。このように中国圏では社会的に寛容度が高く、女性側も他人に気を遣わず過ごしている。

 

⑤男女平等のための改革の速度。

台湾に住んでいた時、私の借りていた部屋の大家さんが女性だったのだが、夫婦別姓だった。そしてその二人の息子も別姓だった。「え?離婚したの?」と日本人なら思うだろう。だがそうではない。台湾では結婚しても夫婦別姓が認められていて、またその子供も夫婦同士でどっちの姓にするか決めるらしい。夫婦同士で決められない場合は政府機関によって「くじ引き」で決めてもらうのだそう。なんだかこの話を聞くと台湾はもともと男尊女卑のあまりない国だったのではないかと思うかもしれないが、全然そうではない。むしろかつては男尊女卑の思想が強かったのだが、女性の政治家が増えたこともあり急速に改革がされ、国民の意識が変わったのだ。なのでちょっと前は台湾も日本同様、妻が夫の姓になり子供も夫の姓を名乗っていたのだが、ここ数十年の間にそこまで改革がされたことに感動を覚える。日本はその点、どうだろう。

 

⑥女性が感情的になることが普通の事とされている。

これはおまけで書くのだが、上海に住んでいたころ、私の隣人がたまにめちゃめちゃ夫婦喧嘩していた。女性の「死ね」だの「殺す」だのいう金きり声が外国人の隣人である私にまでハッキリ聞こえていた。そしてその合間合間に男性の「ごめんよぉ」「わかったよぉ」みたいな声も聞こえていた。二人は普段から仲が悪いわけではない。二人でマンションの下にあるベンチの上で奥さんが旦那の膝に座ってイチャついているところを何度も目撃している。そんな関係の旦那であっても中国の女性はそんな怒り方をする。私の中国人の母親もそうだった。さらに言うと、私は中国で初めて中年女性同士の殴り合いの喧嘩も目撃したことがある。これが良い事なのか悪い事なのかよくわからないが、これを知る私としては日本の女性は全然、怒らないなという印象だ。私の既婚者の友人は旦那さんと喧嘩をして感情的になった時「ヒステリー」だの「頭がおかしい」だの言われたらしい。女が感情的になることってそんなにダメなことなのか?と思う。女性の政治家や会社員が「女はすぐ感情的になるから〇〇に向いてない」などと言われ、ステップアップを阻まれるのも、日本で女性が社会進出しにくい要因なのではないか。

 

以上、参考資料もよければそれも見てほしい。この文章を読んで日本の女性が社会進出しにくい原因を今一度、考えてもらえれば幸いだ。

 

参考資料

台湾の男女格差とジェンダー|働く女性の社会進出が進んでいる!?

中国の女性労働率が欧米を上回る=「平等と進歩の印」「これ...|レコードチャイナ

第26回 台湾の姓について(1)夫婦別姓が原則!! - ワイズコンサルティング@台湾

 

 

「私よりブスなくせに!」〜女の嫉妬と「自分」の喪失の関係〜

「大好き!」「信頼してる!」「優しいね。ありがとう!」日々、交わされる女の子とのやりとりはこんな優しい言葉で溢れているけど、関係ってほんと一瞬で崩れる。表面上はニコニコしてても心の中では、、女の友情って油断もスキもありゃしないなと思う。

 

最近、ミスコンのファイナリストになった。すごく嬉しくてめちゃくちゃ泣いた。幸いにも私には良い友達がいて私のファイナリストの結果を見て喜んで泣いてくれる友達が何人もいた。

 

しかし、その反面、私の悪口を言い始める女もいた。

 

大抵そういうことを言う女は私をもともとそこまで好きではなかった。仲良くなかった。または私を見下していた女で、「ええ〜あの子が〜!?あんな子でもなれるんだ〜あのミスコン終わったね〜」みたいな言い方で過去の私のダメなエピソードと共に面白おかしく誰かに話す。

 

そしてそうしてしまう裏には多分「私よりブスのくせに!なんでこんな女が。」という気持ちが隠れていると思う。まぁ、つまり嫉妬である。

 

みなさんも女性なら経験があると思うが、こういうタイプの女性、人生で必ず遭遇する。そして厄介なことにこの性質は私の中にもあるし皆の中にもある。みんなも悪口を言っちゃった経験あるでしょ?私はあるよ笑

 

だって楽しいよね人の悪口 笑

ときには嫉妬もするしさ 言いたくなっちゃうよねー笑

 

誰かの悪口って多分すごいデトックス効果がある。悪口を共有すると仲間意識も芽生える。女性は誰でもそういう部分、絶対にあると思うんだ。

 

でも、ある年齢になってから安定してさほど言わなくなる人もいるし、結婚しても子供ができてもオバサンになってもお婆さんになってもペラペラと他人のあることないことふれまわる人もいる。

 

そして中には異常なまでに好き勝手に言いふらす女もいる。まるで誰が「仲間」かそうでないかを確かめるように。または「仲間」を囲い込むかのように。

 

今回はこういう異常なまでに言いふらす女性について書くのだが、ここからはなんのソースもない私の経験からの個人的な見解なので「ふーん」くらいで読んでね★

 

こういうことしちゃうタイプの女性って不安が大きいからなのではないかと思う。

 

そういう女性ってなんとなく傾向が似てるきがする。これも個人的な見解なのだが、表面上は人当たりが良くて男性に好かれている人が多いと思う。で、なんで好かれるかって言うと、誰かに好かれようと人一倍努力をしているからなのだと思う。

 

例えば、自分の顔面に満足してない。常に自分と誰かの顔のランクをつけて生きている。ツイートする時間ですら早起きするいい子を演出したくて朝七時に起きてツイートしてまた寝る。週3回ジムに通い、水素水を飲み、ビーフストロガノフの写真をママに作ったとインスタに投稿し、年中無休でダイエットし、人には言えない方法で痩せようと頑張ることもある。時に一方的な理想を男性に押し付けられてもそれに応えようと努力する。男性はこれを表面的に見て「頑張って努力してる子」としてかわいいと思うのだろう。だってめっちゃモテるぞ!!そんでもって仮にそういう女の子をここでは「頑張ってる女子」と呼ぶとしよう。

 

そんな「頑張ってる女子」が手に入れられなかったものを顔は普通。掃除はできないし、ツイートは好きなときにするし、平気で病みを撒き散らす脱毛サロンもめんどくさくて行かなくなった28歳の独身女が手に入れたらそりゃ腹立つわな。悪口言うわな。と思う。

 

でも、まぁ悪口言うとしても「あーなんであいつが通って私が通らないんだーくやしー!!」ぐらいで良いと思うんですよ。そんなあることないこと色んな人に言って、誰かを貶めようとするレベルの悪口って、え?なんで?ってなる。そしてその子の周りの人も「(それは言い過ぎじゃない?)」と思っていたりする。言わないけど。

 

そんなことをしちゃう理由をちょっと考えてみたんですけど、そういう子って他人の要求や理想ばかりを自分に追い求めて、頑張りすぎているからこそ、本来の自分を喪失してしまっているのではないかと思う。で、自分を喪失していると、自分がどうなりたいというビジョンも他人からの意見が入っているから本当に自分のやりたいことなのか分からなくなってしまっているし、自分を喪失しているからこそ自己肯定感がなく、そのために周りを敵、味方とハッキリと分け、悪口を共有できる仲間(味方)の囲い込みに躍起になる。さらに「私のほうが頑張っている」という自負も合わさって頑張ったのに実らなかったと自分に失望するからこそ「追い越される」「見下される」ことに人一倍危機感を覚えているからそんな悪口を触れ回るのではないかと思う。

 

もしそうであれば苦しい人生だろうなと思う。

 

他人の目線ってほんとに怖いし、自分を出したら嫌われるかもしれないという、そんな不安を抱えたまま頑張って生きるのは、ほんとは表面的には生きやすいように見えても、息苦しい人生なのかもしれない。

 

 

ちなみに、前は「頑張っている女子」だったけど今は吹っ切れてるって子は、に自分の醜い部分を他人に言えるようになるらしい。大抵は結婚とか新たな環境によって手に入れた人間関係で吹っ切れた。という人もいる。そして悪口をふれまわらなくなる。自分をようやく掴んだんじゃないかと私は思う。

 

 

 

 

私と父②

~私と父①の続き~

 

父は私の小さかったころから、ずっと男の子が欲しいと言っていた。

でも生まれたのは二人の女の子であった。父は昔から私たちとどう接するべきか戸惑い、尚且つ家庭より仕事を優先している印象があった。その反面、中国から一人嫁いだ母は孤独に子育てをし、私達姉妹への干渉はひときわ強かった。父の印象はいつも母の陰に隠れ、任せきりで存在感が無かったせいかあまり父の記憶がない。でもほしいものはすべて買ってくれた記憶がある。「買って買って」と駄々をこねられるのが面倒だったんじゃないかと今になって思う。

 

私は父の意思がどこにあるのかいつも分からなかった。家庭の中の父は母の起こした波にただ漂うだけのクラゲのような存在だった。その印象は私が大人になるまでかわらずそうであった。だからなんとなく父とは自分の本心で対話したことがなかったんだと思う。顔を合わせてもどことなく気まずさがあった。おそらく父も私の脳内が見えなくて私とどう向き合うべきか分からなかったんだと思う。

今から数年前、祖父が死んだ。

そのとき、母が親戚とトラブルを起こした。喪主だった父はただモゴモゴとなにか呟くだけで親戚に対してなにか言うこともなかった。謝るなり、何かしなければいけなかった立場なのに、いつものように何もできなかった。私はそんな父に心底失望した。迷惑をかけた叔母に頭を下げながら私は「この家族を捨てよう。」そう思った。

 

それから私は一度も母に会わずに台湾へ行った。今も母とは距離を置いている。父には台湾に行く前に一度だけ、叔母が食事の場を設けてくれたので会ったが例の事があり、そこまで父と話す気になれなかった。

 

 それは台湾から日本に戻ってきてもそうだった。父に対しては相変わらず失望していた。おまけに私の精神はめちゃくちゃ不安定だったし、ぶっ倒れたり、食事も睡眠もロクにとれない日々が続いていた。父が私の状態を聞くことがあっても「どうせ何もできないくせに」と怒ったりしたいた。とにかく父を信用できなかった。自分だけで戦わなくてはと思っていた。悪夢の中を毎日ぐるぐるぐるぐる過ごしてるみたいでキツかった。

今思えば、父も父なりに試行錯誤して歩み寄ってくれたのだと思う。叔母いわく、私が何年も連絡を経ったことがショックだったらしく、変わろうと努力をしたみたいだ。いままで母の介入なしに何かするということがなかったのに、私のために本なども買ってこっそり勉強してくれていた。今までそんな事なかったからびっくりした。父は私のために部屋を掃除したり、やっていなかったラインを始め、こまめに連絡を取り合い、辛いときは会いに来たり、電話でゆっくり話を聞いてくれた。そうして少しずつ少しずつ私は自分の事を話すようになった。父はやっと私と向き合ってくれたんだと思う。

数年前、家族を捨てようと決めたとき、私は本当にもう父とは一生会わないと思っていた。以前に読んだ家族に関する本を何冊か読んでいたのだがどれも「人間は年をとるとなかなか変わらない。」とどの本も書いてあったので私と父の関係も変わらないと思っていたが、お互い歩み寄れば変わるものなのだなと思った。私の人生で今ほど父との関係が良好な時期はない。

 

もし私と同じ父親、もしくは娘との関係に悩んでいる人がいるならと思い、今回のブログを書いてみた。私にとっても意外な出来事だったので人生は本当にわからないものである。

 

最後に父は私に昔から一貫して言ってきたことがあってそれは「お前はいつも詰めが甘い。」と「作家になれ。」だった。詰めが甘いは皆からとてもよく言われる。作家になれは本気にしていなかったが、なんとかして頑張ろうとしている。

私は何者かになれるだろうか。

そして私はまだ父にミスコンを受けていることを言っていない。

私と父①

先日、父がステーキ屋に連れてってくれた。その日、私は一日何も食べてなくて、お腹が空いたと言ったら連れてってくれた。夜の九時だった。父はもう夕飯を済ませていたらしく、私の前でお茶だけ飲んでいた。私は注文したハンバーグを食べながら父と他愛もない会話をした。

 

レストランからの帰りの車中、車を運転する父の後ろ姿にじんわりと涙がでた。自分はこの年にもなってまだ手に職がつけられていないし、結婚もしていない。掃除もロクにできないし、父に迷惑をかけながら好き勝手生きている。でも父はいつも何も言わないのだ。父は優しい。気付かれないように後部座席で涙をぬぐった。

 

私はこの年になるまでずっと父が苦手だった。父も私が苦手だったのだと思う。

 

去年、私は夢破れて台湾から日本に帰ってきた。憧れであった海外での仕事を見つけるため、頑張るのなんて大嫌いなのに、これ以上ないぐらい頑張って職場を見つけた。その職場で私はどうだったかというと、ただただ役立たずだった。何をしてもダメだった。私はとにかく失敗を繰り返して、同僚の冷ややかな目と態度に焦って、さらに失敗を繰り返し、ついに私は会社に行かなくなった。白旗を挙げて自分を諦めたのだ。

 

自己嫌悪が身体にのしかかってベットから起き上がることができなくなった。あのとき私は「ああ…自分はやっぱり世の中に不必要な人間だった…」と嘆き、本気で死のうかと考えたりもした。

正直、予想通りだった。うすうす勘づいていた。私はずっと怖かった。幼いころから人との交流が苦手だったり、相手の言葉や表情からの意図を上手く受け取れなかったり、みんなが普通にできるような色々な事が下手だった。男性恐怖症もなかなか拭えなかった。でも認めたくなくて自分を諦めたくなくて挑戦しながらも失敗や目線に怯え、生きていた。苦しかった。なんで自分はみんなと同じように生きれないのかといつも悩んでいた。だから自分を諦められたとき、失望と同時に安堵した。やっと無理していた自分に無理しなくていいよと言えた。やっとできない自分を抱きしめて、もう頑張らなくていいと言うことができた。実に20年もかかった。でもやっぱりわかってしまったからどうやって生きればいいかまた悩みひたすら辛かった。

 

そんなとき、見かねた隣人に父に電話するよう諭された。

 

正直、頼りたくなかったが勇気を出して国際電話をかけた。父はすぐに出た。いつもの焦った感じの声がした。私は「ちょっと具合悪くて‥」と言ったそばから涙が溢れてきた。父は「帰ってきなさい。お金のこと全部気にしなくていいから」と言ってくれた。信用していいのかわからなかったが私は泣きながら「うん」と言った。何年ぶりかの親子の会話だった。

 

 

 

 つづく

アートを口実にすれば性的搾取も許される?

久しぶりのブログです。

 

最近、ネット番組でAV監督が昔に傷つけたAV女優に謝罪したいみたいな企画やってて試しに見てみたんだけど内容が酷かった。

 

ざっくり説明すると業界内で評価の高かったあるAV監督がリアリティを追求するため、業界未経験の新人女優を探していた。ある女優は「アーティスティックに撮ってほしい」と希望していた。監督もこの子とならリアルなものが撮れるかもしれないと彼女に撮影を依頼した。撮影が開始すると監督がヒートアップしてしまい男優に彼女を極限まで怒らせた上で許可なくスカトロプレイをさせた。女優は泣きながら嫌がっていたらしい。

その結果、彼女はそれ以降業界から姿を消し、連絡もつかなくなった。私はこの話を見て、

は?普通にレイプじゃん?

そう思って怒りがふつふつとわいた。何この監督レイプしたこと堂々と番組で公言してるの?『なんでもすると本人が言っていた』とか言っていたけど本当に嫌がってたらやめるのが当たり前だし、テロップで『監督が用意したスカトロというアート』とか流れたけど、《アート》ってなに?と思う。

少し前に話題になった写真家、荒木経惟の元ミューズ(ミューズなんて呼び名も腹立つ)KaoRiさんの告発の件もそうだったが、彼らの言う《アート》の陰に隠れて泣いている人って結構いるんじゃない?と思う。

 

私は過去、職場に飾られていた卑猥な言葉が書かれた絵に「不快だ」と怒ったらこれは「アートだから。アートとの分からない人間はこれだから」と言われたことがある。

芸大に通う友人は撮影に協力してくれたモデルのヌード写真にモザイクを入れた作品を先生に見せたら「乳頭を恥じらわず見せてこそアート」と訳のわからない事を言われて困惑していたし、そのまま提出したら良い成績をもらえなかった。

ポートレートをしている女性の友人は素人男性から「アート作品として」プロの美容師もいない中、ホテルで撮影者と二人きりになって髪の毛を切る動画を撮らせてほしいとしつこく迫られたりもしていた。

 

ねえ、

 

あなたの言う『アート』って本当にアートですか?『アート』って言っちゃえばなんでも許されると思ってません?『アート』って言っちゃえば、よこしまな気持ちを隠せると思ってません?

 

スカトロが《アート》?卑猥な言葉が《アート》?無理矢理脱がせるのも《アート》?え、なんか笑える。そんなこと言ったら私の部屋の片隅に放置した食べかけのパンもアートですよ笑。その腐ったパンをジップロックに入れるのもアートだし、それを嫌いなヤツに無理矢理食わせてその後思いっきり殴ることもアートですよ笑。だってそうでしょ?

 

こっちが倫理的にどうなんだと怒ると「これだからアートが分からないヤツは」となぜか逆ギレされる。《アート》って怒られたときに実に便利な切り返しですねえって思う。

そういえばこの前、警察24時で児ポル所持で捕まった会社員の男も警察官に所持の理由を聞かれて《アート》作品の参考にしたかったとか言ってたなぁ笑

 

そもそも《アート》ってなんですかね。自分から「これはアートです」って言うもんなんですかね。他人から「これはアートですね」って言われてアートじゃないんですかね。

 

それによこしまな気持ちで《アート》気取るって本当にアートやってる人に失礼じゃないんですかね。《アート》を言い訳に性的搾取をする人たちが《アート》を貶めてるんじゃない?

 

逸脱してこそアート?

 

冒頭に書いたAV監督も写真家もそうだけどなんというかアートって逸脱してこそスゴイ!!カッコイイ!!みたいな変な評価基準ありません?私が過去に通ってた絵画教室で全然入賞もしなかった子が今まで描いてた風景画をやめて過激でグロテスクなヌードを描き始めたら急に入賞するようになったりしたことがあったんだけど、なんか過激なものっておそらく目に留まりやすい。印象に残りやすい。見たことがないから人を引き付ける。人によってはそれが行き過ぎて感覚がマヒして他人を搾取していることに気づかない。または搾取していてもそれすらアートだと賞賛する頭いかれたクソバカも現れる。さっきの写真家を擁護するヤツに「現実の裸の生の女性乱暴さに驚愕し喝采する。そんなふうに女性を扱う写真家を尊敬さえした。彼はストレートに女性を搾取していた。それこそまやかしの愛ではなく、生と死と愛と憎しみをコラージュする、それこそ真実の愛なのだ」とかマジで意味のわからない自己陶酔もはなはだしいこと言ってるやつもいたな。

キャっわたしまた、《アート》を「意味が分からない」とか言っちゃった☆いっけなーい☆「これだから《アート》のわからないヤツは」ってまた嘲笑されちゃう☆ま、いっか☆

多分、そういうこと言うおじさまは《アート》のことめっちゃよく理解してて《アート》わかんないやつはすべてだめなやつなんでしょうね☆しね☆

 

まぁとにかく私の言いたいことは《アート》を口実に性的搾取するやつとそれを賞賛するやつは滅びろってことと、《アート》って言葉に踊らされて性的搾取を許すなってことです。せめて最低限、法に触れないでいてほしい。逸脱は全然かっこよくないし素晴らしくもない。だだのクソバカ。

 

子宮頸癌検診で引っかかった話(日記です。)

先月、子宮頸がん検診を受けてきた。私の住む地域では25歳以上の女性を対象にタダで子宮がん検診が受けられる。

そして二日前、健診を受けた病院の先生から電話が来た。

 

「この前の子宮頸癌健診で再検査するんで紹介状を書くから、次は大きい病院で検査してきてください。」

 

癌細胞を作る細胞だかウィルスが見つかったらしい。

え…あたし…癌かもしれないってこと?大きい病院で検査!?…死ぬの?

そういえば最近、体調不良が続いていた。癌が原因だったからなのかもしれない。

ネットで体調不良と癌の関係性を検索してヒットした闘病ブログを読んで絶望したが、実感がそこまで沸かなかったのか泣くほどショックではなかった。

とりあえず父に言ったら泣いちゃいそうだから秘密にして、遺書でも書くべきかとかガチで癌だったら好きな人に告白しようとかそんなことを考えていた。

そして今日、紹介状をもらいに産婦人科に再度行ったら先生から

「引っかかる人、月に5、6人くらいいるのよ。結構いるから心配しなくていいわよ。あなたの軽いやつだから。」

と笑いながら言われた。

ちょ、、

電話の時言ってよそれ、、、、

詳しく聞くととりあえず、わたしの体から癌細胞になりうるウィルスが見つかっただけで時間が経てば消滅する人もいるほど毒性の弱いものらしい。でもそのウィルスが癌細胞を育てる可能性があるらしいから検査が必要だとのこと。

なんかそういえば台湾にいたときもこんなことあったな…と思い出す。

秘書業がハードすぎて体を壊したとき、病院に行ったら台湾のお医者さんから「日本人だから保険効かなくてこれ以上の検査はできないけど癌かもしれない。」と言われたことがあった。それでショックで父に泣きながら電話して日本に帰って病院行ったら「潰瘍性胃腸炎だよ☆」って言われたこともあったなそういや…。

ネットで検索するとすぐまとめサイトで「癌かも…」ってでてくるからほんとなんかどいつもこいつも適当だよな…

まぁでも体調不良は放っておくとマジで癌になったりするかもからみんなもちゃんと検査を受けようね!!それだけだよ!!オチなんかないよ!!!!

 

 

 

私はきっと縷縷夢兔を着せてもらえないだろう。(追記と訂正バージョン)

※なおしたとこは紫にしたよー☆

このブログを公開していいものか正直悩んだ。

審査員だけじゃなく、ミスiDの子達からも反感を買うかもしれないし、同意を得られたとしても表立って同意する子は少ないだろう。

でもこれは私が正直に考えていることなので書くことにした。

 

私の受けている個性派ミスコン、ミスiDとミスiD審査員、東佳苗さんが展開しているファッションブランド、縷縷夢兔の関係は密接でミスiDになれた子から何人かが選ばれ縷縷夢兔を着てモデルやファッションショーなどのお仕事をさせてもらえる。

 

そして縷縷夢兔の服をまとってファッションショーなどに出れる子はミスiDから職業、生い立ちは問わず魅力的な方が選ばれる。

 

私はこの事をルッキズムの「選別」だと感じている。

こういうたぐいの選別はもちろんこのことだけじゃなく日常生活でも感じることがあるのだが、女の子が集まるミスコンだと顕著に自分が選ばれないだろうと感じた上で恐ろしさと劣等感を感じてしまう。これはカワイイ子、もしくは魅力がある子に対するただの嫉妬でもあるのだがどうしてもそんな感情がぬぐえない。

 

学生時代、私はいつもスクールカーストの底辺にいた。

可愛い女の子は可愛い子同士で集まって、そうでない私はそうでない子同士で教室も隅っこにいた。

たまに何か用があって可愛い子たちに声をかけたとき、シーンと静まりかえる。そしてクスクスと笑われる。そんなときの感情。

 

学園祭でコスプレをするとき、メイドやポリスなどカワイイ子が似合う衣装はカワイイ子が着て、私は可愛い服を諦め、ガチャピンの着ぐるみを選ぶみたいな感情。

 

私の中にそれに近い恐怖と劣等感、そして諦めを彷彿とさせる。

 

同じ人間の間であたかも「こっち側」と「あっち側」ができて

 

「あなたはちがうじゃない。あなたはこの子たちより格下。」

 

と態度や状況で誰かに言われているような、そんな感じ。

 

でも正直、私もかわいいアイドルをルックス含めて好きになるし、他者のルックスを勝手に評価することもあるからこの感情はほんと矛盾しているなと思う。そしてまた女の子ならこういう矛盾した感情、誰しもあるんじゃないか。

 

もちろん、縷縷夢兔だけではなくて他のことに対してもたまに劣等感を抱くし、正直、この年齢になってもこんな感情になるのだと泣きたくなる。そう思ってしまうのは私にも問題があるのかもしれない。そもそも私は自分を俯瞰しすぎている。

以前、縷縷夢兔の個展へ行った時、座って撮影可能な椅子があり、ミスiDのかわいい女の子たちが代わる代わる写真を撮っていたのだが私がそこに座って堂々と写真を撮る勇気は無かった。

 

「私はあの子たちみたいに若くも可愛くもないから。」

 

そう思って諦めたのだ。

 

あの子たちみたいにたっぷりと時間をとってあの可愛い椅子で写真を撮る資格なんてないんだろうなと。今思えば撮ってもべつに問題は無かったのではないかとも思うのだが、あの時は自分を俯瞰しすぎて激しい劣等感を感じてしまった。

 

正直わたしも縷縷夢兔を着たいけど、この文章で「差別だ!!私にも縷縷夢兔着せろ!!」と言いたいわけではない。

ファッションブランドなのだから、そりゃかわいい子が着たほうが映えるし、私だってカワイイ子が着たところを見たいし、私が着たところで他者から笑われそうだ。ただ、自分に魅力があるとは思えない私は魅力がある子だったり自分に自信がある子がひたすら羨ましいのだ。

そもそも私がそう感じるのは個人的に縷縷夢兔への強い憧れがあるからだと思う。着たいのだと思う。(なんならこんなこと書いてる今でもブスが縷縷夢兔着たいって言ってると笑われそうだと思ってるよ。)だから東佳苗さんの信念と感性を否定するつもりもない。わたしも可愛い女の子が好きだし。ただどうしても恐怖と劣等感を覚えるということを言いたかった。

女の子は縷縷夢兔に対してそんな複雑な愛憎模様を持っているのではないか。

 他者からの、そして自分自身からのルッキズムの檻から抜け出せたらこの苦しみから解かれるのだとは思うが、他者にたいして「かわいい、かっこいい」と思わず評価してしまう自分自身がそこから抜け出せるとは到底思えないから余計苦しい。

 

とりあえず縷縷夢兔は自分で買ってきちゃおうと思う。

 

【追記】ある方からルッキズム批判してるけどルックス含めてアイドル推してるやん!説得力ないねん自分!と言われたのですが、私の文章力の無さからルッキズム批判だととらえられてしまったみたいなので文章にこちらの追記と訂正を加えました。正直、ルッキズムの価値観を他人からも自分からも排除する方法ってないよね多分。ミスコンである以上はルックスを他人からジャッジされるけど、思わず劣等感を感じる。でも自分も可愛い女の子が可愛い服を着るべきだとも思ってる。みんなもきっとそういう愛憎を抱いてるんじゃない?ってことを言いたかったのですが、他人に伝わらないということはまだまだ修行が足りぬということですね。あと自分にとって文章を書くのって排泄に近いから「これ書かないとすっきり寝れない!!」みたいな時って苦しいから書く感じになって細かい表現がなおざりになってしまうなと。父からはいつも詰めが甘いと言われてきたのですがホントにこういうとこですね。