私はきっと縷縷夢兔を着せてもらえないだろう。(追記と訂正バージョン)
※なおしたとこは紫にしたよー☆
このブログを公開していいものか正直悩んだ。
審査員だけじゃなく、ミスiDの子達からも反感を買うかもしれないし、同意を得られたとしても表立って同意する子は少ないだろう。
でもこれは私が正直に考えていることなので書くことにした。
私の受けている個性派ミスコン、ミスiDとミスiD審査員、東佳苗さんが展開しているファッションブランド、縷縷夢兔の関係は密接でミスiDになれた子から何人かが選ばれ縷縷夢兔を着てモデルやファッションショーなどのお仕事をさせてもらえる。
そして縷縷夢兔の服をまとってファッションショーなどに出れる子はミスiDから職業、生い立ちは問わず魅力的な方が選ばれる。
私はこの事をルッキズムの「選別」だと感じている。
こういうたぐいの選別はもちろんこのことだけじゃなく日常生活でも感じることがあるのだが、女の子が集まるミスコンだと顕著に自分が選ばれないだろうと感じた上で恐ろしさと劣等感を感じてしまう。これはカワイイ子、もしくは魅力がある子に対するただの嫉妬でもあるのだがどうしてもそんな感情がぬぐえない。
学生時代、私はいつもスクールカーストの底辺にいた。
可愛い女の子は可愛い子同士で集まって、そうでない私はそうでない子同士で教室も隅っこにいた。
たまに何か用があって可愛い子たちに声をかけたとき、シーンと静まりかえる。そしてクスクスと笑われる。そんなときの感情。
学園祭でコスプレをするとき、メイドやポリスなどカワイイ子が似合う衣装はカワイイ子が着て、私は可愛い服を諦め、ガチャピンの着ぐるみを選ぶみたいな感情。
私の中にそれに近い恐怖と劣等感、そして諦めを彷彿とさせる。
同じ人間の間であたかも「こっち側」と「あっち側」ができて
「あなたはちがうじゃない。あなたはこの子たちより格下。」
と態度や状況で誰かに言われているような、そんな感じ。
でも正直、私もかわいいアイドルをルックス含めて好きになるし、他者のルックスを勝手に評価することもあるからこの感情はほんと矛盾しているなと思う。そしてまた女の子ならこういう矛盾した感情、誰しもあるんじゃないか。
もちろん、縷縷夢兔だけではなくて他のことに対してもたまに劣等感を抱くし、正直、この年齢になってもこんな感情になるのだと泣きたくなる。そう思ってしまうのは私にも問題があるのかもしれない。そもそも私は自分を俯瞰しすぎている。
以前、縷縷夢兔の個展へ行った時、座って撮影可能な椅子があり、ミスiDのかわいい女の子たちが代わる代わる写真を撮っていたのだが私がそこに座って堂々と写真を撮る勇気は無かった。
「私はあの子たちみたいに若くも可愛くもないから。」
そう思って諦めたのだ。
あの子たちみたいにたっぷりと時間をとってあの可愛い椅子で写真を撮る資格なんてないんだろうなと。今思えば撮ってもべつに問題は無かったのではないかとも思うのだが、あの時は自分を俯瞰しすぎて激しい劣等感を感じてしまった。
正直わたしも縷縷夢兔を着たいけど、この文章で「差別だ!!私にも縷縷夢兔着せろ!!」と言いたいわけではない。
ファッションブランドなのだから、そりゃかわいい子が着たほうが映えるし、私だってカワイイ子が着たところを見たいし、私が着たところで他者から笑われそうだ。ただ、自分に魅力があるとは思えない私は魅力がある子だったり自分に自信がある子がひたすら羨ましいのだ。
そもそも私がそう感じるのは個人的に縷縷夢兔への強い憧れがあるからだと思う。着たいのだと思う。(なんならこんなこと書いてる今でもブスが縷縷夢兔着たいって言ってると笑われそうだと思ってるよ。)だから東佳苗さんの信念と感性を否定するつもりもない。わたしも可愛い女の子が好きだし。ただどうしても恐怖と劣等感を覚えるということを言いたかった。
女の子は縷縷夢兔に対してそんな複雑な愛憎模様を持っているのではないか。
他者からの、そして自分自身からのルッキズムの檻から抜け出せたらこの苦しみから解かれるのだとは思うが、他者にたいして「かわいい、かっこいい」と思わず評価してしまう自分自身がそこから抜け出せるとは到底思えないから余計苦しい。
とりあえず縷縷夢兔は自分で買ってきちゃおうと思う。
【追記】ある方からルッキズム批判してるけどルックス含めてアイドル推してるやん!説得力ないねん自分!と言われたのですが、私の文章力の無さからルッキズム批判だととらえられてしまったみたいなので文章にこちらの追記と訂正を加えました。正直、ルッキズムの価値観を他人からも自分からも排除する方法ってないよね多分。ミスコンである以上はルックスを他人からジャッジされるけど、思わず劣等感を感じる。でも自分も可愛い女の子が可愛い服を着るべきだとも思ってる。みんなもきっとそういう愛憎を抱いてるんじゃない?ってことを言いたかったのですが、他人に伝わらないということはまだまだ修行が足りぬということですね。あと自分にとって文章を書くのって排泄に近いから「これ書かないとすっきり寝れない!!」みたいな時って苦しいから書く感じになって細かい表現がなおざりになってしまうなと。父からはいつも詰めが甘いと言われてきたのですがホントにこういうとこですね。