おーえる放浪記

毒親から離れ、色々なところを転々としています。ミスiD2019ファイナリスト。Twitter@MC88009062

女の子とオバサンの境目に立つ

液晶の中で「年齢で行動を制限されたくない」と言っていた彼女が私に「もう私達、歳だからねー。」と言ってきて戸惑った。

 

これは悩みでもあるのだが私は今、28歳。おそらく心は少女のままである。一向に精神の成長がなく、以前から一定して20ぐらいの女の子と仲良しだったりするし、誰かと子供みたいな喧嘩を繰り返してしまう。

 

そして、ついに同年代と話が合わなくなってしまった。

 

だから「おばさんだから」「おばさんになっちゃいけない」と口にする同年代に会うと自分の軌道を修正せねばという妙なプレッシャーがかかって緊張するし、どう返していいか分からない。

 

なんというか、「おばさんなのよー」と自分を卑下することを強制されている気がする。

 

時にお酒を飲まずにみかんを食べているだけで「おばさん」だと言われると「私もそんな年齢なのか」とハッとするのだが、なかなか良い返しが思い浮かばない。

 

「おばさんだから」も「おばさんになっちゃいけない」も私にとってはどちらも年相応の人が言う、年相応な言葉であって、それは逆に女の子からおばさんへと移行する呪文のように彼女たちの間で繰り返される。

 

そこで、なぜ私は年相応になれないのかと思ってこの文章を書いているのだが、「そうなる必要はない」と考えているからなのだと少し気づいた。

 

私は高校生のとき、親との関係に悩んでいた。親は私を理解していないのに私の道を決めようとしたのである。とても苦しかった。そんな私に大人は「親も心配してくれているんだよ」「それも青春の1ページだよ」などと言ってきたのだけれど、どの言葉もアドバイスにならないし、私にとっては大変な事件なのに誰に相談してもまともに考えてくれていないと感じていた。

 

だから、私はいつまでも大人になりたくないし、高校生みたいな気持ちでいたいと思ったし、今もそう思っている。

 

それが私の心の成長を止めているのだろうか。

 

とりあえず、私は今おばさんと女の子の境目に立たされているということは周りの反応から分かる。ただ、周りが言うように自分を「おばさん」だと自分を卑下する必要もないし、周りも「もうすぐおばさんなんだから」と私に自分を卑下することを強制させる権利もない。

 

というか、「おばさん」と加齢を卑下して女の子の若さに箔をつけるのは良いことなのか。今の女の子は自分の若さの価値を知りすぎていないか。若い肉体をお金に変えないと「もったいない」と思ってしまうのではないか。とも考えたりする。

 

今の女の子は自分の価値を知りすぎているから。

 

だから、「おばさんになる」とか「おばさんになっちゃいけない」とかそんな話はオシッコと一緒にトイレにでも流して、高校生の女の子と友情を築いちゃっていいんじゃないか。

 

きっとそのほうが楽しいし、そういう自分のほうが好きになれる。