大縄跳び
大縄跳びが上手な子は、タイミングを見計らって回る縄の中に入ってみんなと同じリズムでジャンプできる。
だけど私は昔から下手くそで変なタイミングで入って引っかかったり、入れてもジャンプのリズムが合わなくて引っかかってしまう。
当然、周りは私を大縄のチームに入れたがらなかったし、自分でも私なんかいないほうがいいと思っていた。これは人との会話にも似ている。話しかけていいタイミング、会話のテンポがこの年齢にもなって未だによくわからないし、上手く輪に入れない。
だからハナっから大縄なんかしない。会話って複雑で煩雑で、互いの関係性、場面に合った会話にならなければいけないし、その中で独断と偏見だが正しい正しくないの判断、自分の意見を伝える。
相手の冗談に乗る。冗談か判断する。などの細かい気遣いを散りばめなければならない。
私はこれが昔からなんとも苦手で、だからこそTwitterでの文字に敏感になってしまうのかもしれない。
話が逸れたが、上記のようなことがあって私はどうやら勝手に他者と関わりを持たないくせに勝手に疎外感を感じる性格になってしまったようだ。
これはこれで結構気楽だし、気に入ってはいるのだが、たまに思い返して、強く疎外感を感じて自分の世界に引きこもってしまうところがある。
実際の会話に縄なんてないから引っかかっても誰もブーイングしないし、足に叩きつけられた縄の痛みもない。「ごめんごめん」と苦笑いする時間もらえない。
自分で「察する」しかない。最近は会話を反芻して、良くなかったなぁと後悔することが多すぎる。
一人ぼっちでもいいと思っているはずなのに、嫌な感情がしこりみたいに残る。
ただ、大縄になかなか入れない人の気持ちが分かるのは良かったなぁと思う。それだけ。