おーえる放浪記

毒親から離れ、色々なところを転々としています。ミスiD2019ファイナリスト。Twitter@MC88009062

私達は聖人であるべきか。

久々にブログを書きます。

 

今日はほんとに胃が悪くて、喫茶店のトイレで消化途中の昼飯を吐き戻してしまった。

 

季節の変わり目だからなのか、少しのストレスを感じているのか、坂口安吾のエネルギーの強い文を読んだからか、分からないが体調が悪い。まぁそんなことはどうでもいいのだけれども。

 

本題に入るが、わたしはフェミニストを名乗っている。なぜ名乗っているのかというと、私の中の経験や考えから私はフェミニストだと感じることが多くて、フェミニストと名乗ると色々、反論等の面倒くさいことに絡まれそうで嫌だったのだけれどいつまでも逃げていては社会は変わらないのかもと思ってそう名乗っている。

 

場所はどこであれ誰かが話さなければ何も変わらない。

 

ただ、最近、フェミニストを名乗ることに居心地の悪さを感じている。

 

というのはフェミニストは聖人であれという価値観があるようでそれを押し付けられるのが嫌だ。

 

これはフェミニストに限らず、ヴィーガン提唱者、動物愛護提唱者、政治家にも通じるとも思うのだが、何か「正しさ」や「法」を語るのであれば「聖人であれ」という世間から押しつけを感じる。

 

それはマザー・テレサやガンジーのような献身的で金銭的に困難でも誰かを助けたいという人であればあるほど良い、世間的な背徳行為はするなという視線なのだが、無理のある話ではないかと思う。

 

ある程度、生活の基盤が立ち、その上でこういった活動に興じること、または自分の人生や金銭的な困窮を強いてでも行うことが「正」とされ、ましてやそれで「金儲け」をすることがいけないという考えが大衆にある。

 

私はフェミニズムで稼いでいない。私のフェミニストの友人も稼いでいない。社会学者をやっている名のある知人も稼いでいない。上野千鶴子や小川たまかは稼いでいると思う。あくまで私の予想だが。しかしそれは悪いことなのか。

 

警察になりたい人はどういった志を持って警察になるのだろうか。「正義を貫きたい」そういった思いで警察になる人は多いのではないが、けして「儲かるから」と思ってやる人はいないであろう。ただ、警察は自身の「正義」と「金銭環境」は両立されている。

 

わたしはフェミニズムやそれ以外もそういった「両立」がなされるべきだと思う。

 

何か「正しさ」を提言しようものには金がついてきてはいけない、不倫をしてはいけない、聖人であれという価値観がのしみつきが人々の発言を圧しているのではないかと感じる。

 

フェミニストの私はよく「男嫌い」だと思われ、私の周りの友人ですら「性的な発言は私の前では控えよう」というきらいがある。かという私も「フェミニスト」を名乗ると相手にそういった気をつかわせてしまうかもしれないと思うところがあり、あえて名乗らないでいるときもある。

 

さて、私は聖人なのかというと、別に彼氏でもない男と寝たりしているし、こずるいことも考えるし、たまに自分の発言を振り返れば、フェミニズムとは真逆なことを言っていたりして大して反省はしないが少しだけ反省するし、自分の正義であるフェミニズムで食べていけたら幸せだなぁと思うところがある。好みの男とならいやらしい会話もするし、承認欲求もあり、可愛く撮れた自撮りを載せてチヤホヤされたいところもある。自頭が良くないので誤字や誤読もすこぶる多い。(こういうスキャンダル的なことを自分で先に書いて予防線を張らなきゃいけない雰囲気なのも嫌。後ろめたいことはなぜか自分から先に言うと叩かれないよね。)

 

ただ、そんなことをTwitterに書いたら叩かれるだろうなという怖さがあってあえて書かないでいる。自撮りもあまり載せないでいる。要はフェミニストを名乗る前より「揚げ足をとられない」ようなことばかりTwitterに書くようになった。

 

何か私にスキャンダルがあればきっと私に批判的な人たちはその発言をかいつまんで猛烈にあざ笑うのだろう。

 

フェミニズムにはこういう「揚げ足取り」を恐れて澄ましたTwitterになってる人が多いと思う。

 

たまに性を語ってもリベラルに、健康的にという感じが好まれる。不健康ではダメなのだ。また、「昔は悪かったけど今は」というのは好まれ、現在進行形のスキャンダルや秘密の第三者からの露呈は猛烈に叩かれる。

 

清廉潔白で自分の人生のすべてを投げ売ってまで正義を貫徹しなくてはいけないのか。新しい世界を願うだけでは駄目なのか。純度100%の主張なんてあるのだろうか、と私は思う。

 

そもそも、後ろめたいことを今まで一度もしたことがない人、考えてない人などこの世にいるのだろうか。

 

私はフェミニストだが聖人でいたくない。聖人でもいれないし。今までそんなにキレイに生きてない。悪いこともするが良いこともする人間くさい人間である。間違ったことも言う。意地もある。負けたくないというプライドから間違いを認められなかったこともある。過去のツイートをすべて掘られても正しいことを言っている自信は全くない。別に過去や今や献身度がどうであれ、何を望むか誰かを助けたいと考えるだけではだめなのか。そういう小さな思いの一つ一つが常識を変えるのではないか。

 

国のことはヘイトに繋がりそうでどうこう言いたくないのだが、普段の活動はどうであれ日本は特に悪を叩くところがある。さすがに犯罪は活動がどうであれ失脚すべきだと思うが、それ以外の「おイタ」ぐらいは世間様に許されないのだろうか。

 

でないと人々が発言しづらい世の中になると思う。人間は正と悪、表裏一体でできている。不自然なことはやめませんかと言いたい。もっと気楽になりませんか。

 

 

 

 

 

 

みなさんに感謝(今年のまとめ)

今年のまとめ書きます。

 

とりあえず、皆さん私を見ていてくれてありがとう。

 

全然実感のないまま、今年が終わろうとしていて気がつけばもう31日。

 

なんだかんだいろんな人に会う約束をしたり、約束がなくなったり、なんとなく忙しくてなんとなく暇。そんな年末を過ごしています。

 

あたまの片隅にはいろいろな悩みがあって、これからどうするかこんなに考えた時代は私には無かったなとしみじみと思います。

 

今年を振り返ると

やっぱり一番の出来事はミスiD2019のファイナリストになったということで、この肩書は皆さんからいただいた大切なものです。何者でもなかった私を何者かにしてくれた。だからこそ今の私があるなと思っています。逆に言えばミスiDが無かったら今年は死んでいたかもしれません。

 

父と仲良くなり、友人が増えました。未だにたまに喧嘩するけれども。さっき父から「自信を持って」と言われました

 

私にできるか不安だけどなんとかしてみます。

 

高校のとき小さいライブハウスで見つけてから、大好きだった河西洋介さんがSuchmosになってヨンスとして紅白に出ているのを見ると、人間ってほんとに頑張ればやりたいことできるんだな。と思ってちょっと勇気づけられたりしてます。

 

私は去年に比べれば精神もぐっと安定していていい人に出会えたと思っています。そして自分の中で何かが溶けて何かが変わった気がします。

 

あと、私が何に悩んでるか今日気づきました。成し遂げたいことがあって、それを達成するには何をすればいい分からないから悩んでいるのだと。そしてそれもお金にならないことだから自分の生活が危うくなるし、そこそこ自分に基盤になる職業が必要だし。問題が山積み。でもなんとかなるような気がしてきました。

 

来年も私らしく、イベントをしたり何かを作ったりしようと思います。やりたいことをやります。

 

 

ちらばった文章でごめんよ。

 

 

皆さんに感謝。良いお年を。

 

 

女の子とオバサンの境目に立つ

液晶の中で「年齢で行動を制限されたくない」と言っていた彼女が私に「もう私達、歳だからねー。」と言ってきて戸惑った。

 

これは悩みでもあるのだが私は今、28歳。おそらく心は少女のままである。一向に精神の成長がなく、以前から一定して20ぐらいの女の子と仲良しだったりするし、誰かと子供みたいな喧嘩を繰り返してしまう。

 

そして、ついに同年代と話が合わなくなってしまった。

 

だから「おばさんだから」「おばさんになっちゃいけない」と口にする同年代に会うと自分の軌道を修正せねばという妙なプレッシャーがかかって緊張するし、どう返していいか分からない。

 

なんというか、「おばさんなのよー」と自分を卑下することを強制されている気がする。

 

時にお酒を飲まずにみかんを食べているだけで「おばさん」だと言われると「私もそんな年齢なのか」とハッとするのだが、なかなか良い返しが思い浮かばない。

 

「おばさんだから」も「おばさんになっちゃいけない」も私にとってはどちらも年相応の人が言う、年相応な言葉であって、それは逆に女の子からおばさんへと移行する呪文のように彼女たちの間で繰り返される。

 

そこで、なぜ私は年相応になれないのかと思ってこの文章を書いているのだが、「そうなる必要はない」と考えているからなのだと少し気づいた。

 

私は高校生のとき、親との関係に悩んでいた。親は私を理解していないのに私の道を決めようとしたのである。とても苦しかった。そんな私に大人は「親も心配してくれているんだよ」「それも青春の1ページだよ」などと言ってきたのだけれど、どの言葉もアドバイスにならないし、私にとっては大変な事件なのに誰に相談してもまともに考えてくれていないと感じていた。

 

だから、私はいつまでも大人になりたくないし、高校生みたいな気持ちでいたいと思ったし、今もそう思っている。

 

それが私の心の成長を止めているのだろうか。

 

とりあえず、私は今おばさんと女の子の境目に立たされているということは周りの反応から分かる。ただ、周りが言うように自分を「おばさん」だと自分を卑下する必要もないし、周りも「もうすぐおばさんなんだから」と私に自分を卑下することを強制させる権利もない。

 

というか、「おばさん」と加齢を卑下して女の子の若さに箔をつけるのは良いことなのか。今の女の子は自分の若さの価値を知りすぎていないか。若い肉体をお金に変えないと「もったいない」と思ってしまうのではないか。とも考えたりする。

 

今の女の子は自分の価値を知りすぎているから。

 

だから、「おばさんになる」とか「おばさんになっちゃいけない」とかそんな話はオシッコと一緒にトイレにでも流して、高校生の女の子と友情を築いちゃっていいんじゃないか。

 

きっとそのほうが楽しいし、そういう自分のほうが好きになれる。

 

 

クリぼっちで病んでる暇ない。

12月25日。クリスマス。私はバイトである。

 

良いことなのか悪いことなのかわからないのだが、この年齢になってクリスマスになにも予定がなくても嘆かなくなった。

 

Twitterでは「クリスマスなのに恋人がいない!」「クリぼっち!」と嘆くツイートが散見される。去年は私もそんな焦りと不安があったのだが、何故か今年は少しもそんな気持ちにならない。

 

バイト先の年配女性にそのことを話すと「歳とったわね」と言われた。

 

そうかもしれない。28歳も悪くない。

 

思えば毎年クリスマスにはなんとなく、「誰かといなきゃいけない!なるべく恋人といろ!」みたいな謎のプレッシャーがあると思うのだが、それってなんでなんだろう。

 

ってゆうかクリスマスも新年も大忙しな人って逆に珍しいんじゃないか。

 

なんか私はクリスマスとかよりも悩んでることが多くて、今はそっちのほうで忙しくてなんかクリぼっちごときで病んでる暇もないのかもしれない。

 

あと、最近ブログもnoteも書いてなかったのだが、軽いスランプである。退化なのか進化なのか。とりあえず色んなことをしなくなって、色んなことを考え始めた。会いたい人にも会った。

 

ただ、霧みたいに空中に停滞している感覚がある。

 

ミスコンでそこそこの成績を残したことで「自分が何者であるか」が分かった気がしてなんとなく安心しているのもあるのかもと思う。その前はただの「女性」であったから他の同年齢と足並み揃えようとしてたんだけど、それも必要なくなった気がする。

 

元々特別なオンリーワンになれたてそれも自認できたというか。

 

自分でも自分が分からないのには変わりないけど。年末には今年のまとめみたいなの書こうかな。

 

『ちょうどいいブス』より『ちょうとよくない美人』のススメ

「君は顔はいいけど、愛嬌がないからモテなさそう」

三年前、ガチャガチャとした会社の飲み会の席で、酒臭い息を吐く上司の口から出た言葉だ。

 

私は上司にお酒を継ぎながら苦笑いをして心の中でこうつぶやいた「うるせーおっさん。お前に愛嬌ふりまきたくねーだけだよ。」

 

そして、その上司は私の同僚であった女性社員にこう続けた。「君は顔がキレイじゃないけど、愛嬌があってモテそうだよね。俺好きだもん。」

 

昨今、とある女性芸人の著書「ちょうどいいブスのススメ」がドラマ化するとのことで炎上しているが、私は「ちょうどいいブス」というワードに対して思い出すことは先程の飲み会での一幕である。

 

おそらく、一部の女性が「ちょうどいいブス」を目指す理由は「そういう態度のほうが男性に気に入られるから」だと思う。

 

男性上司が言っていた「君は顔がキレイじゃないけど、愛嬌があってモテそう」はつまり「ちょうどいいブス」なのである。

 

日本は女性管理職の割合が全体の10%にも満たない男性社会である。当然、会社に入れば男性の上司が圧倒的多数で相当仕事ができるか、そうでなければ男性にいかに取り入るかしないと生きづらいところがある。そういうところが「ちょうどいいブス」を目指す女子を産んでいるのだと思うのだが、

 

私はどちらかというと「ちょうどよくない美人」である。 笑

 

自分で美人というのは少し気恥ずかしいのだが、「ちょうどいいブス」とは真逆な存在だと思うのであえてそう名乗ろう。

 

正直、「ちょうどよくない美人」は生きづらい。男性上司から嫌われるし、仕事できないと「可愛げがないし仕事もできない」と言われるし、モテないし生きづらい。

 

下ネタや見た目ディスをされても「もぉひどぉい〜」と笑顔でいられない。

 

ただ、その先に幸せが待っているかはまた別だ。

 

実は私にも「ちょうどいいブス」をやっていた時期があったのだが、その時は本気で「女は若さが要!気遣いできて当然!」だとか考えてた人間だった。

 

そして男性を見下していた。「男なんてこんなもんだろう」と計算しつつ、「ちょうどいいブス」を演じてあげていた。

 

ただ、演じることって疲れるから、心の何処かで「ちょうどいいブス」であることに息切れする。

 

だから「ちょうどいいブス」をやめたのだが、今は「ちょうどよくない美人」である自分の方が自尊心が保ててるし、俄然愛せる。

 

女が自分を卑下しないと男性の気をよくさせられないのは恐らく、能力も見た目も自分より少し下でないと自尊心を保てないという大変情けない男性の性分を浮き彫りにしていると思うのだが、

 

そんなのってアホらしくないか。付き合わなくていいと思うのだが。

 

だからみんなも「ちょうどよくない美人」目指そうぜって話。

 

🎄メリークリスマス🎄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうして生きているのか?と聞かれた話。

ミスコンに出て以降、誰かから相談を受けることが多くなった。

 

私は頼りがいのある人間でもないし、できた人間でもないし、自分も未だに迷いながら生きているから、私に相談したい人が現れるなんてと、とても不思議に思うのだが、私なりに精一杯こたえている。

 

先日、「なぜ生きているのか」と聞かれた。

話の内容から、なんでお前みたいなやつが生きれんのwwみたいなニュアンスではけして、なかったのだが、私自身を俯瞰してそう思われていても仕方ない生き方をしているとも思うので、そういう冷めた自分への意見も込めて返答した。

 

正直、なぜ生きているのかは自分でもよくわからなかった。

 

聞かれて初めて考えたかもしれない。なぜたまに死にたくなるのかは考えたことがあるけれど。

 

ただ、今の自分を突き動かしているのは「誰かを助けたい」なんていう高尚な建前ではなく、「自分が救われたい」という感情だ。

 

過去にあった出来事で私はすっかり世界に絶望してしまった。誰かが救われた姿を見て、世界に光を見出したいのだ。

 

しかしながら、私は最近とてもヤバくて、どうヤバイかは言えないのだが、ほんとに生きられるのか自信がない。

 

体調もよくないし、精神もよくない。毎年この時期に母から勉強のことで絞られた経験から不安定になるのかもしれない。

 

ぶっちゃけ誰かを救う前に自分のことではないのかとも思ったりする。わたしがだめになったら元も子もないのは分かっているのだが、何もしないとほんとうにヤバくなりそうだから何とか動いている。

 

それと、私の数少ないありがたいファンや仲間から頂いた、ミスコンの順位と「おーえるちゃん好きだ」という言葉が私の命を延ばしている。

 

友達も増えたし、適度に遊ぶし、チャンスもある。ファンもいる。友達と遊ぶときや電話するときはニコニコするし、明るいし、面白い私でいる。なるべく誰かに笑ってもらえるような、ハッピーな私でいる。

 

でも一人でいるときは割とそうでないときが多い。くさくさしてたり、泣いていたり、怒っていたり、過去のことを思い出してしまっていたりする。そんな自分に飽き飽きする。食事なり、水分補給なりが許されない気がして、肉体を脱ぎたくなる。そこそこのルックスの肉体なのに、私が上手く乗りこなせないから、誰か代わりに私の肉体で生きてくれないかなとも思う。

 

なぜこんなにも考えてしまって辛いときがあるのか、自分が自分でもよくわからない。ミスコンのファイナリストになったんだからもっと浮かれていいのにって自分でも思う。恋人でも作ればいいのかな。いたときもそこまで精神は良くなかったから何とも言えないな。

 

ただ前よりかはずっと楽しくなった今、前よりもヤバくないような気もしている。

 

このブログは何となく皆に言わないと自分がほんとにヤバい気がしたから改めて考えてることを言ってみた。近況報告だ。

 

とりあえず今日も具合が悪いから寝る。

 

 

女性限定イベントを開いて料金をあえてつけなかった結果〜振り返りと反省〜

先月、初めて女性限定イベントとしてバーを開いた。

 

女性限定にしたのはまず、世の中には様々な事情で誰かと話していない女性が多いのではないかと思ったからだ。

 

私の友人がある日、ふと「子供がいたら話し相手もいなかっただろうな。」

とつぶやいたことがある。そういえば私の母も子育てのときは子供にかかりきりで、寂しかったと言っていた。今の日本の社会には孤独な女性が多いのではないかと思う。

かくいう独身の私もそうで、時に話し相手が欲しいなと思ったり、学生時代、学校や家庭に居場所が無くて辛かった思い出がある。

 

年齢問わず、そんな女性たちに楽しく安心して話せる場所を提供できたらいいなあ、と漠然と思って開いたのが今回の女性限定バーだった。

 

こんなこと言ったら自分のエゴみたいで好きではないのだが、お金を取りたくなかったのでチャージ500円以外は値段をつけず、お客様にはそれぞれの経済状況に合わせて、好きな値段を封筒に入れてもらうことにした。要はお布施みたいな料金システムにしてみた。ついでに赤ちゃんがいる女性でも来やすいように赤ちゃんを連れてきてもいい、食事に困っている人にはタダで食事を提供すると宣伝した。

 

そんでもって結果はどうなったかというと、女性が6人も来てくれた。女同士という安心感がその場を居心地の良いものにしたようで私も含めてみんなで楽しめた空間になった。めちゃくちゃ楽しかった。

 

ただやはり、来てくれた人はミスiDを通じて私を知ってくれた方ばかりで、本当に困っている人までには宣伝が届かなかった。というか、本当に困っている人は本腰を入れて街角宣伝などしないと来ないのではないか、と思った。

 

以前、子供食堂に行ったことがあるのだが、その運営をしている人が「ほんとうに困ってる子供までここの情報が届かないことが課題」だと言っていた。

 

私の活動に関しても同じことが言える。しっかりお店を持つなり、間借りをするなりした時に、どこまで場所の存在を知らせられるかが今後の要だ。

 

とりあえず、来年の8月31日と9月1日には学生がまるまる居座れる場所を作りたい。そこまでどうするか考える必要がある。

 

そして最後に今回来てくださったお客様が封筒に結構お金を入れてくれてくださり、赤字覚悟だったのに黒字になった。こっちが食事や飲み物をタダで振る舞うつもりでいたので、皆さんのやさしさに心が熱くなった。感謝。