おーえる放浪記

毒親から離れ、色々なところを転々としています。ミスiD2019ファイナリスト。Twitter@MC88009062

綺麗なのは誰のため?

「ダイエットのために2年以上、一日一食しか食べない。」

「一生懸命、目の癖付けをして二重になった。」

「メイクに2時間かかるから毎朝、4時に起きている。」

「整形をした。」

「主婦になっても女をサボらないために胸のあいた服を着ている。」

 

Twitterでよく目にするこれらの美容系ツイート。時にはモデルや、アイドルのインタビューを切り取りしリプや引用リツイートで「えらい」「努力の人」だと称賛されている。

 

私はこのツイートや、称賛にいつも違和感を抱く。

 

まず、「綺麗」であることは誰のためなのかと思う。

綺麗であると社会的に優遇されやすい。異性からも、もてはやされるし、同性もやっぱり綺麗な人には憧れを抱く。就職にも有利だし、お店に行けば何かサービスしてくれたり、人生の選択において、何ランクか上の選択が選べる。

 

逆に言えば、醜いと冷遇される。中身が相当優秀だったり、何か特別な才能がないと並、もしくはそれ以下の人生が待っている可能性が高い。時に幼少期から見た目が醜いことを嫌われていじめられたり、けなされたりして、大人になるまでに歪曲しないで生きることが難しい。

 

では、綺麗とは誰のためか。私は自分以外の他者のものなのではないかと思う。

 

私の妹はちょっとした有名人だった。母から「あなたは姉より綺麗ね」と言われて育ち、中学生から自分磨きに精を出していた。

顔出しして美容垢みたいなのをやっていてキラキラな毎日を披露していた。妹は自力で一重を二重にした方法をSNSに書いていた。メイクもよく研究していた。それをみんな「すごい、まねしたい」と称賛していた。

 

近くにいた私から見ると、妹はなんだかいつも気を抜くと一重に戻ってしまいそうで、目を見開いて、目に力を入れて過ごしているようだった。

 

食事については食べても食べても太らないということをTwitterに書いていたけど、本当は家で毎日五合のお米と適当なおかずを食べてはトイレで吐いていた。トイレにはゲロを吐いたあと、口をゆすぐためのコップが置いてあった。妹は過食嘔吐を繰り返していたのだ。

ひどいときは、ピーナッツバターを何にもつけずスプーンでそのまま1箱食べて、吐き出していた。

Twitterの妹はキラキラしていたが、家ではすぐに噛み付く野良犬のような目をしていた。「食べ過ぎだ」と言われると狂ったように怒ってほぼ毎日、母と喧嘩していた。

 

誰も彼女に干渉できなかったし、かつての穏やかさをなくしていた。

 

私はというと、綺麗な妹の影で卑屈になっていた。「わたしは綺麗ではない」から化粧する資格も身なりを綺麗にする資格も可愛い服を着る資格もないと思っていた。求められないしもてはやされないから私の姿は他人を不快にさせるだけだと思っていた。

 

そして、やつれて毎日、気の抜けない感じの毎日を送る妹を見て、きっと妹は自分のために綺麗でいるのではないのだろうなと思っていた。

 

だから美容垢やモデルやアイドルの言葉に、そしてその言葉への称賛に疑問を抱く。

 

もちろん、「綺麗だ」ともてはやされて、優遇されることはは結果的に自分のためと捉える人もいるかもしれないが、それにしてはいささか、やり方に自己愛が足りない子が多すぎるのではないか。

 

ダイエットのために食事を摂らないでフラフラになるまでいたり、下剤を使用して無理矢理痩せようとしたり、まぶたがガサガサになっても二重をやめなかったり。毎日同じ食事をしたり。体調不良で食欲がないとき、食べなくて済むとほっとしたり。

 

でも「ダイエットしているからそうしている」とは口に出せない。だってこのグロテスクで不健康なやり方は口に出したら真っ当な意見で批判されるから。表では健康的に痩せてるように見せてるから。

 

私は大人になって前より綺麗になった。

 

綺麗でいないと優遇されないし、優しくされないし、恋もできないし、話しかけてもらえないから綺麗になった。

だから綺麗であるのは私のためではないと思う。優しくしてほしいから綺麗でいるのだ。イーブンな人間関係を手に入れたいから。

食事を摂生して野菜ばかり食べるのもメイクするのもアイプチするのもSK-IIを使うのも自分のためではないと感じる。

 

誰かを不快にさせないためにそうしている。発達障害の私は社会の歯車にすこしでもしがみつくためにせめて綺麗でいる。

 

たまにとっても虚しくなる。ポテトチップスじゃなくて野菜を食べてる私が虚しくなる。単純な細胞に産まれたほうが楽だったと思って泣きたくなる。

 

まるで自分の体が自分のものでは無いみたいだと思うのだ。