おーえる放浪記

毒親から離れ、色々なところを転々としています。ミスiD2019ファイナリスト。Twitter@MC88009062

オオカミ少年

小さい頃、オオカミ少年を読んだとき、この話は単純な話ではないと思った。羊飼いの少年が何度も「狼が来た!」と嘘をついて騒ぎを起こし、本当に狼が来たときに誰からも信じてもらえず村の羊がすべて食べられてしまうという話だった。

小学校のとき、わたしは先生から信頼されない子供だった。ADHDで落ち着きがなく、忘れ物が多く、ちょっとしたことでよく泣くし、明るくなかったし、疑われることを恐れてすぐバレるような嘘もつく。髪もボサボサ。それでも毎日、習い事ずくめだった私に「お母様が頑張ってくれてるのになんで貴方はいつもそうなの」と先生はため息をついた。当時私が学校で怒られない日は無かったと思う。

先生に好かれている子は勉強ができて、忘れ物をせず、両親も学校行事に積極的な「いい人」で子供と仲がよく、嫌なことでも率先してやる子だった。というより、「ここはこうしたら褒められる」とか「信頼を得られる」とかいう察しがつく子が好かれていたと思う。

私の目線から見れば、その「いい子」達は本当に先生という最高権力者の目から見て、「いい子」というだけであって私の目から見て、そういうグループの人間は時に差別の目でこちらを見てきたり、いやな役目をうまく言いくるめらて押し付けてきて自分の手柄にしたり、先生にバレない程度に嫌がらせをしてきたりという人たちだった。私が鈍くさかったり、自信がなかったり、嘘をつくから単純に嫌われていただけかもしれない。でもそういう「いい子」は先生からの信頼が厚いため、私みたいな信頼されていない「悪い子」が何かされて何言っても信じてもらえない。要は幼い頃から容量良く生きなければいけなかったのだろう。

わからないがその時の空気感を私はなんとなく未だに引きずっている。

少し前にいた職場は心身共に健康な人ばかりだった。そんな中に入ると私はなんとなく劣等感を感じてしまう。そしてその劣等感は私の判断と発言力を鈍らせる。例えば、自分が悪くなくても謝ってしまったり、後になって断ればよかったと後悔するような無理な仕事を押し付けられても安請け合いしてしまったりしてしまう。なんとなく私だけ醸し出してる空気が他のみんなと違うのだろうか。実際きっとそうで、わたしはそういう職場の飲み会に一切呼ばれない。「そういうの嫌いかと思って」と誘われなかったりする。
そういう職場ではわたしはいつも「ミステリアス」だの「不思議ちゃん」だの言われる。みんな私がブログを書いたり、Twitterをしたりということは想像もつかないだろう。

逆に、精神的にも肉体的にも弱かったりする人たちの中では私は活き活きとしていられるし、存分に自分を出せる。言い方を変えると私と同じように劣等感を抱えていたり、時にはいじめられたり、なんとなくポジティブでいれなかったりという子達の中では気を遣いあえてとても居心地がいい。そんな中ではいつも、「この子達を守らなければ」という謎の使命感にかられるし、キビキビと自分からも動ける。「頭がいい」「面倒見がいい」だの評価もしてもらえる。

なんでここまで違うんだろう。
正直、居場所のなかった以前の仕事はその次の居場所のあった仕事より単純だったと思う。でも何故か仕事が覚えられなかったりミスが多かったり、率先して動けなかったりした。なんだか体が重かった。お前なんか必要ないと思われているような気がして動けないし覚えられない。勝手に他者を強く感じてしまい、勝手に自分が弱くなってしまう。

こういうのを「いじめられっこ気質」っていうのかなと思う。

今思えば、先生が私につけたレッテル、「悪い子」というのは私が誰かを貶めようとか、懲らしめようとか、困らせようとしてつけられた結果ではない。単純に私の家庭環境やら性格やらの元々持つものだったり、先生にとって好ましい子供か、そうでない子供かによってまるで「質」の良さを品評するようにつけられた評価だったと今になって思う。

その当時つけられた私への「質」の評価が未だに私の中枢にある気がする。勝手に決められてしまったのだ。


今更、恨み言を言うわけではないが、学校がもし、少人数だったりそのとき一人でも私がADHDだと気づいてくれたり、母との関係に気づいてくれたらもっと未来は変わっていたのかなと思う。オオカミ少年の話をなぜ、そんなことをしてしまうのか大人が歩み寄って聞いてみたら羊が食べられることも無かったのではないかということを今夜は言いたかった。

正直、今の人生がゲームでリセットできるならしたいのだが、リセットできないのは分かってるのでわたしはこの心と身体で合う人生を探さなければいけない。きっとみんなもそんな感じで生きている。