露頭に迷う
最近、本当に何をやっても気持ちが晴れない。
さっきまで楽しかったはずなのに一人の帰り道で泣いていたりする。
ブログをちゃんと書いたり、お友達と話したり、お金を使わないとなんとなく死んでいるみたいで良くない気がする。
今日は若い友人と遊んだ。彼女は生命力に溢れていて美しかった。「搾取される」と常に怯えて生きている私とは違って強くてバイタリティに溢れていた。
そういえば、私にもこんな時期はあったなぁ短かったけど。
2017年にミスiDを受けていたときは精神を病んで休業中だった。ADHDの診断を受けたのもこの頃だ。私が受けたセクハラの傷やADHDの症状による不安は大きく、常にちゃんと仕事ができるか自信がなかった。そしてそれは今でもそうである。
台湾で働いていたとき、自分の仕事の出来なさに失望した。求められていたことがハイレベルだったのかもしれないが他人との交流、中国語のレベル、仕事の効率。どれをとっても前任者の方が上だと言われつづけた。
ストレスで体が動かなくなり、日本に帰ってADHDに向き合うことにした。ただ、ADHDの薬は継続的に飲み続けないと効果がなく、値段も高いしオススメしないと言われた。
露頭に迷っている。何をしたらいいか分からない。自分に何ができるのかも分からない。大体のことができるようでできない。いつ体調が崩れるか怖くて、自信がない。それが辛い。
職安に行ったら私のコミュニケーション能力の高さから「あなたならなんでもできるわ」と言われ笑顔で色々な仕事をすすめられた。私はADHDなのでコミュニケーション能力はあるほうだから、面接は異常に通りやすい。ただ、仕事ができない。
前職すべて、楽しさを見いだせなかった。
そして「自分」を譲れなかった。
譲ったら死んでしまうと思った。
そうして言われた言葉は
「仕事もできないくせに愛想もない女」
であった。
自分を変えたくない。
でも何か手に職がほしい。
わがままなのだろうか。
そんな仕事この世にあるのだろうか。
タバコを吸ってパチンコをしても私の本質は変わらなかった。
いつまでもか弱いウサギのようだった。そんな気分でいるときはいつも、痴漢に遭ったり、変な人に話しかけられたりされる。
ミスiDになった友人は大森靖子のMVにでていた。よかったなぁという感情と羨ましさと劣等感が入り交じる。
私の体の感覚と心の感覚の相互性が乏しければ恐らく風俗嬢になっていただろう。
亡くなった友人と話したい。
彼女ならこんなときなんと言うだろうと思う。
思えば私は彼女に励まされてばかりで、
私は彼女を励ますことができなかった。
死んだ彼女に怒っていた。なぜ死んでしまったのかと。彼女が苦しんでることにも気づけなかったのに。こんなことを思うのは自分勝手なのかもしれない。
明日は新しいバイトの面接だ。
ついでに3DCGの学校に電話もいれてみよう。
それだけしたら一日終わり。
ちょっとずつ頑張ろう。頑張れるかわからないけど。報われるかもわからないけれど。